| 社会が問題を抱えたら共同で変革をすべきである作るのだ。が、社会はそれ程均質ではない。均質な取り決めなど出来ないので各々の管理出来る範囲を決めて自在な線引きが出来ないものかと思う。行政区分を見直す事も必要なのではないか?大き過ぎる行政区分が均質な原理で治められる訳がないのだ!行政単位を構成する民主的な議会を持つ独立町を基礎として中単位の行政単位を作るのだ。例え従来の概念での同一地域であっても別の選択肢もあり得るのだ。 |
Saturday, January 23, 2016
| 我々は知に対して、概ね楽観的に考えがちであると思う。しかし、トーラーではその反対で大変警戒をしている事が解る。それはエデンの園の二本の樹の特徴が「生命の樹」と「知識の樹」であった。この二者を対比させる事によって、この選択問題を難解なものにしているが、同時に最重要な択一問題にもしているのだ。我々は知は言語を媒介に共有と交換を行なっている。知が今何処に所有されていようと、何処まで既知で、未知であるかは重要である。特に共有知の場合、既知と未知との違いは決定的な差があると言える。先ず既知というのは文字通り知った知識であるから古い情報であるという事である。未知と既知の境界は共有領域では境界ハッキリしていなければならない。個人のレベルでも心掛けるべき態度であろう。既知はウッカリしていれば用済みの古い情報になってしまうものである。新しい知は自ら発見したものであれば名誉な事であろう。しかし、何時までも鮮度が保てる知はそう多くはないのである。 |
| イジメの挙句の児童の自殺に思う事 |
| 「命の尊さ」を幾ら教育の現場で教えても同じ教育の現場がイジメ等の現場になっていては何もならないではないか?!生きて充実した生きる事が出来てこそ教育の現場である。教育者の中にイジメは無くならないと少しでもあるなら注意を傾ける手も抜かれる隙が出来てしまうのは当たり前ではないのか!気持の隙は今イジメで苦しんでいる子供達に寄り添う事が出来ないではないか!いじめられる事を悪いと言うんじゃない!生きて面白い生き方をしようよ!と何故声をかけないのか!命を大事にしろよ?なんて通り一遍にしか言えないのか?学校の中の人間関係を壊して作り直せる事が出来る立場の人間は教育者しかいないではないか!イジメに耐えて今は大人に成長できた人間がいるからと言って今イジメに苦しんでる児に通じると思っているのか?自殺で児供を失う事の方が損失ではないのか?イジメは犯罪だと社会が取り決めようとしないのかが理解に苦しむ! |
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