Saturday, December 31, 2016

日本の社会、政治が如何に改善、改良されるかを測る基準、視点はあるだろうか?改善改良は当事者が参加出来る事に掛かっているのであって、当事者が参加することにこそ健全で間違いのない視点が拓ける筈であると思うのである。今誰が権利を行使していないだろうか?即ち弱者は誰であろうか?弱者はどう言う方法があるか解らないのであるから、弱者の為に権利を掘り起こす人材が必要という事になるのであろう。

Sunday, December 11, 2016

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自分は何とガサツな人間なんだ!人間関係を兎に角粗末にしてきたので、今でも身近な人を失っているのだ。思わず口を滑らせて失った事が殆んどである。相手に責任のある事は全くないのである。これら全てが自分の弱さからくるものであったのだ。

Saturday, September 24, 2016

対等に共有してその様に言葉を交わして初めて契約となる。

Wednesday, September 14, 2016

クリスチャンの皆様ねぇ!旧約聖書に書いてある事を文字通り信じるんですか?これは何かの喩えだなぁ位に思っても良いんじゃないですか?何を喩えてるかは置いておいても良いですよ。古代の文書だからそう難しい事は書いてないだろうと予断するのは早計ですよ!古代人なりの表現したい事があった筈と真摯に受け止める態度で取り敢えず居りましょう!トーラーがどの様な方法を駆使して表現しているかを確かめましょう。どう言う方法が時代が経っても風化しない方法なのか。言葉は朽ちやすい事を能く知っていた人達だったのだろうと思わせる方法を採っていると解りますから!
私は様々なタイプの文明文化があって良いしあるべきだと思っている。それを試す事も人は如何ようにも許されているのである。それを政治的に試そうと文化的範囲に限定して試そうと全く自由であると思う。思いつたら試す事に躊躇は不要であろう。

Saturday, August 6, 2016

安倍晋三が愚かだと思う理由はズバリ歴史を学んでいないと言う愚かさである。何故学べないかも理由が指摘出来る。自分が権力に浸っているから盲目になっているからである。権力を持っているとアクセルもブレーキも踏めると思ってるのだ。権力を維持できる期間は僅かである。自分から離れた後の事まで考えていない様だ。自ら敷いたレールの上にどう言う勢力が歩くだろうかとかどの様に利用されようとしているかなど全く無頓着なのである。それを知りながら今の政治をしているなら、全く犯罪的である。結局三菱利権の走狗でしかないだろう。

Tuesday, July 26, 2016

相模原の狂気殺人は健常人の持つ狂気を顕在化させたものにすぎないではないか!誰しも親達が感じていた位に鬱積し気持ちを更に永遠に近い位に封印したのかも知れない。犯人は介護の現場で裏も表も地獄を見てしまったのだろう。犯人なりの合理性を見つけてしまったのだ。そして愚かにも実行してしまったのだ。制度は過剰過ぎる期待を社会から一身に受け、溢れんばかりのお荷物を背負っていたのだ。声には出せない歓喜の声が漏れているではないか!犯人だけの責任なのか?社会、制度の陥穽に落ちた一狂人の仕業で終わらせて済む問題なのだろうか?政治が扱える位神経を細く使い得る領域であるかは解らないが。

Friday, July 22, 2016

日本はと言うか日本人は問題が発生しても根本治癒を中々なおおざりにしがちではないのか?と言うのは、毎年繰り返される自然災害を国家単位で対策をとって、大きな被害の軽減可能な筈であるのに大概は後の祭りで済ませているのである。この国に国家の大計など計れるか要求するのが間違っているのかも知れない!国家的規模で出来る筈事は幾らでもある筈である。旧民主党が国家戦略室を作って直に休眠させてしまったがやる気があってもこの国は育てられないのである。子供の様な国家ごっこ遊びになってしまうのである。

Wednesday, July 13, 2016

「天皇が生前退位?!」「良いじゃないですか!好きにさせてあげれば良いじゃないですか!」「余り煩い事言わないで自由にさせてあげれば良いんですよ!もっとやりたい事あるんじゃないですか?テニス三昧とかね〜!」「パソコンとかね〜!」

Tuesday, July 12, 2016

公約に掲げてない事を政治的決定する事をチェック出来るのは政党もさる事ながら、メディアもチェック出来るはずである。それを放棄したのならメディアも同罪ではないのか?!安保法制など典型である。事が相当進行してしまってから警鐘を鳴らしてももう遅いかも知れない!メディアが出来ることを先行的に行なってほしい!そうしなければ政治家はトンデモナイ計算を尽くして事を進めているという事を知るべきである。
政治的志願者は決意の為並々ならぬ決意が必要であったろう事を思うと迂闊な事は言えないのであるが、政治的トップに立つのであれば、斬新なアイディアと視点が欲しいのである。トップに立って新しい成果を挙げて貰いたいと思う。
刑事裁判判決で執行猶予という判決が出されるが、無罪と同様の受け止めで裁判所後にすることもあり得るのではないだろうか?裁判の後は殆んど通常の社会生活が送れるのだから。執行猶予は一定の社会的奉仕活動等を課す事を条件にすべきではないだろうか?執行猶予が形式な有罪と言われない様にするためにである!
戦後70年経っても未だに広島、長崎原爆投下を卑怯だの道義的責任に言及する人がいるが、私は不思議に思う。アメリカの早期終結論に疑問をてい当時の日本国民が十分情報提供を受けていなかったことを考えれば、最も犯罪的な軍関係者を適切に裁けたのであろうか?抑日本自体が内省の機会を持てたのだろうか?日本人全体が戦争を遂行してた時期に何の正当性を敵国に主張出来ない事だったのである。又日本は国民の人権を一顧だにしなかった事が分かっているではないか!何を以って戦争中に起こった全ての事情に正当性を主張しても限定的な事だったと言うしかないではないか!

Saturday, July 9, 2016

参議院の具体的改革案

国会議員は本質的に自己を参議院を本来の姿にする為に議員選挙では敢えて特定の政策の公約を掲げる事を禁止する事を決めてしまうべきではないだろうか?参議院議員は特定の選挙公約を掲げる事はできないと決めれば、且つ政党に所属する事を禁じれば、最早、衆議院のカーボンコピーになる事が出来なくなるのが当然になるだろう。いずれにしても参議院の公約は禁止しなくては意味がないのである。公約がないのだから経歴のみが選択基準としたらどうなのか?目的は参議院の独立性を担保する為にである。

Sunday, May 15, 2016

国家が国家の本分を尽くしているのなら、変に思わない筈の事があるのだが、それが見事に骨抜きにされた事が、それが北朝鮮による日本人拉致である。拉致犠牲者には全く非がないにも関わらず、理不尽な運命を強いられているのである。それも犠牲者の多くはどの様な運命を強いられているのかさえ分からないのである。
日本は専守防衛と言っておきながら、全く沿岸警備には手を抜いていたとしか言えないのだ!防衛とは日本が日本人を守る為にあるのではないのか?今迄、政府は拉致犠牲者を本気で取り返そうとしてきたのだろうか?国家が国家らしく振舞ってきたのだろうか?骨抜きの軍隊もどきを戦後無駄飯を食わせていても、防衛省に名前だけ格上げしただけで実際に働かなければ意味がないではないか?犠牲者家族は高齢に差し掛かっており、最早時間がないのである。政府は国民の生命を見捨てる事は許されないのである。拉致は侵略と同義である。政府は今こそ役割りを果たさなければならないのである。
日本は自衛隊を軍隊に取り敢えず格上げしたが、お体裁に軍隊を持っているだけの様に感じている。日本の周辺にはマトモと思えない様な国家もあり、実際に国民を拉致するなど侵略を行っている事に対する防衛機能を発揮していないのである。大変無自覚な防衛力しか持っていないのである。/……

Sunday, May 1, 2016

防衛利権復活の道だったのだ!

今マスコミが報道を避けている事がある筈だ!それが安倍晋三と防衛産業との関係だ。「防衛装備移転三原則」を閣議決定して事実上の武器輸出を容認した事に表れているのだ。戦後は平和が続いたお陰で防衛産業が美味しくなくなってしまっていたのでこの辺で挽回したかったのだろうが、安倍晋三は満州経営の祖父の亡霊復活らしく利権の巻き返しを果たしたのだろう!

Friday, April 8, 2016

冤罪が又生まれようとしている

警察、検察が取り調べの容疑者に向かって虚偽の法律知識をかざして自白に誘導することは間違っているのではないだろうか?容疑者が無知故の自白誘導で不利になるのは変だ!弁護士接見までの自白は証拠価値はないのではないか?!

Sunday, March 27, 2016

能力開発、人材発掘

子供が宝物なら、日本の教育方法は、子供達、学生の芽が出なければ、その先の可能性を引き出せない様になっている。そうしなければ、社会に受け入れ可能な人材を発掘出来ない様になっている。学生は競争原理のなかで疲弊仕切っているので、自分の可能性、能力を十分見出だせない為、それから転落した者は可能性、能力の発見には偶然を待つしか無いのだろう。早い内から能力、可能性の発掘の為のプログラムを開発、用意して、若い世代、幼い世代とのコミニュケーションを繰り返す事の方が余程息の長い人材発掘が出るだろうにと思うのである。

Thursday, March 10, 2016

世界の古典文学を宗教感覚抜きで読んでみよう!

トーラーと言っても日本人が読むとしたらキリスト教の旧約聖書とほぼ同じです。銀座の教文館と言う本屋に行けば売ってます。教会に行かなくても良いのです。

Saturday, January 23, 2016

社会が問題を抱えたら共同で変革をすべきである作るのだ。が、社会はそれ程均質ではない。均質な取り決めなど出来ないので各々の管理出来る範囲を決めて自在な線引きが出来ないものかと思う。行政区分を見直す事も必要なのではないか?大き過ぎる行政区分が均質な原理で治められる訳がないのだ!行政単位を構成する民主的な議会を持つ独立町を基礎として中単位の行政単位を作るのだ。例え従来の概念での同一地域であっても別の選択肢もあり得るのだ。
我々は知に対して、概ね楽観的に考えがちであると思う。しかし、トーラーではその反対で大変警戒をしている事が解る。それはエデンの園の二本の樹の特徴が「生命の樹」と「知識の樹」であった。この二者を対比させる事によって、この選択問題を難解なものにしているが、同時に最重要な択一問題にもしているのだ。我々は知は言語を媒介に共有と交換を行なっている。知が今何処に所有されていようと、何処まで既知で、未知であるかは重要である。特に共有知の場合、既知と未知との違いは決定的な差があると言える。先ず既知というのは文字通り知った知識であるから古い情報であるという事である。未知と既知の境界は共有領域では境界ハッキリしていなければならない。個人のレベルでも心掛けるべき態度であろう。既知はウッカリしていれば用済みの古い情報になってしまうものである。新しい知は自ら発見したものであれば名誉な事であろう。しかし、何時までも鮮度が保てる知はそう多くはないのである。

イジメの挙句の児童の自殺に思う事

「命の尊さ」を幾ら教育の現場で教えても同じ教育の現場がイジメ等の現場になっていては何もならないではないか?!生きて充実した生きる事が出来てこそ教育の現場である。教育者の中にイジメは無くならないと少しでもあるなら注意を傾ける手も抜かれる隙が出来てしまうのは当たり前ではないのか!気持の隙は今イジメで苦しんでいる子供達に寄り添う事が出来ないではないか!いじめられる事を悪いと言うんじゃない!生きて面白い生き方をしようよ!と何故声をかけないのか!命を大事にしろよ?なんて通り一遍にしか言えないのか?学校の中の人間関係を壊して作り直せる事が出来る立場の人間は教育者しかいないではないか!イジメに耐えて今は大人に成長できた人間がいるからと言って今イジメに苦しんでる児に通じると思っているのか?自殺で児供を失う事の方が損失ではないのか?イジメは犯罪だと社会が取り決めようとしないのかが理解に苦しむ!