| 日本の社会、政治が如何に改善、改良されるかを測る基準、視点はあるだろうか?改善改良は当事者が参加出来る事に掛かっているのであって、当事者が参加することにこそ健全で間違いのない視点が拓ける筈であると思うのである。今誰が権利を行使していないだろうか?即ち弱者は誰であろうか?弱者はどう言う方法があるか解らないのであるから、弱者の為に権利を掘り起こす人材が必要という事になるのであろう。 |
Saturday, December 31, 2016
Sunday, December 11, 2016
Wednesday, September 14, 2016
Saturday, August 6, 2016
Tuesday, July 26, 2016
Friday, July 22, 2016
Wednesday, July 13, 2016
Tuesday, July 12, 2016
Saturday, July 9, 2016
Sunday, May 15, 2016
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国家が国家の本分を尽くしているのなら、変に思わない筈の事があるのだが、それが見事に骨抜きにされた事が、それが北朝鮮による日本人拉致である。拉致犠牲者には全く非がないにも関わらず、理不尽な運命を強いられているのである。それも犠牲者の多くはどの様な運命を強いられているのかさえ分からないのである。 日本は専守防衛と言っておきながら、全く沿岸警備には手を抜いていたとしか言えないのだ!防衛とは日本が日本人を守る為にあるのではないのか?今迄、政府は拉致犠牲者を本気で取り返そうとしてきたのだろうか?国家が国家らしく振舞ってきたのだろうか?骨抜きの軍隊もどきを戦後無駄飯を食わせていても、防衛省に名前だけ格上げしただけで実際に働かなければ意味がないではないか?犠牲者家族は高齢に差し掛かっており、最早時間がないのである。政府は国民の生命を見捨てる事は許されないのである。拉致は侵略と同義である。政府は今こそ役割りを果たさなければならないのである。 |
Sunday, May 1, 2016
Friday, April 8, 2016
Sunday, March 27, 2016
Thursday, March 10, 2016
Saturday, January 23, 2016
| 我々は知に対して、概ね楽観的に考えがちであると思う。しかし、トーラーではその反対で大変警戒をしている事が解る。それはエデンの園の二本の樹の特徴が「生命の樹」と「知識の樹」であった。この二者を対比させる事によって、この選択問題を難解なものにしているが、同時に最重要な択一問題にもしているのだ。我々は知は言語を媒介に共有と交換を行なっている。知が今何処に所有されていようと、何処まで既知で、未知であるかは重要である。特に共有知の場合、既知と未知との違いは決定的な差があると言える。先ず既知というのは文字通り知った知識であるから古い情報であるという事である。未知と既知の境界は共有領域では境界ハッキリしていなければならない。個人のレベルでも心掛けるべき態度であろう。既知はウッカリしていれば用済みの古い情報になってしまうものである。新しい知は自ら発見したものであれば名誉な事であろう。しかし、何時までも鮮度が保てる知はそう多くはないのである。 |
| イジメの挙句の児童の自殺に思う事 |
| 「命の尊さ」を幾ら教育の現場で教えても同じ教育の現場がイジメ等の現場になっていては何もならないではないか?!生きて充実した生きる事が出来てこそ教育の現場である。教育者の中にイジメは無くならないと少しでもあるなら注意を傾ける手も抜かれる隙が出来てしまうのは当たり前ではないのか!気持の隙は今イジメで苦しんでいる子供達に寄り添う事が出来ないではないか!いじめられる事を悪いと言うんじゃない!生きて面白い生き方をしようよ!と何故声をかけないのか!命を大事にしろよ?なんて通り一遍にしか言えないのか?学校の中の人間関係を壊して作り直せる事が出来る立場の人間は教育者しかいないではないか!イジメに耐えて今は大人に成長できた人間がいるからと言って今イジメに苦しんでる児に通じると思っているのか?自殺で児供を失う事の方が損失ではないのか?イジメは犯罪だと社会が取り決めようとしないのかが理解に苦しむ! |
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